2005年02月26日(土)

「あなたがたは、なぜ私の話していることがわからないのでしょう。それは、あなたがたがわたしのことばに耳を傾けることができないからです」(ヨハネ8:43)

主は真理をはっきりと語られた。なぜ、主の言われる事がわからないのか。それは聞きたくないからだ。なぜ聞きたくないのか。主の言葉は絶対的に正しく、それを聞く時、自分の方が変わらねばならないからだ。目の前の人を変え、環境を変えようとするが、自分は決して変わりたくない。人が御言葉がわかるのは、自分が変わろうとしているからだ。神に従うとは、つまり自分を変えて行く事だ。自我が砕かれて行く事だ。神の御声に従おうとの態度がある時、必ず御言葉がわかる。逆に、幾ら聞いても、従う気が無いなら御言葉は一切わからない。実は心の奥底では拒否しているからだ。わかりたくない。聞きたくない。変わる気は無いからだ。あなたの心の底はどうだろう。
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御言葉を聞く事は良いが、自分が変わるのは嫌なのだ。変われないのではなく、変わりたくない。頑固で強固な自我がある。心の底で拒否している。「よくなりたいか」と主がいつも目の前に立っていて下さっている。変わりたくない自分に気づく事から始まる。