2001年05月30日(水)
「もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない」(ハバクク2:3)
私達は概して、じっと待つのが苦手である。 自分の計画を実行し、どんどん行動する事が じっとして、神が神であられる事を知るより 遥かに楽である。行動していると充足感もあ るので、じっとしているのは難しい。 なぜか、時間を価値あるものにするためには、 絶えざる行動が必要と勘違いしてしまう。 主は三年の公生涯を始める前に、三十年を過 ごされた。パウロは回心と伝道生活の間に、 十五年ほどアラビヤで時を過ごした。 これらは、準備は計画の一部であると教えて いる。この事実を受け入れる時、私達の人生 は豊かになる。私達は常に動き回って、生産 的である必要はない。何かそれが良いことの ように錯覚しているが。聖霊が私達に準備さ せて下さるのを待つ期間を勘定に入れなけれ ばならない。霊的生活に準備期間は欠かすこ とが出来ない。もし、私達が常に忙しく、立 ち止まる時間が無ければ、私達の心を神が備 えられるのをどうやって待つのか。