2006年01月30日(月)

「神は、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです」(Tコリント1:27)



良い証しとは、弱いのに、強く見せ
ることだと勘違いしていたりする。
弱いと、能力が無いと、証しに悪い
と思い、出来る振りをする。
自分でない、自分を演じることにな
る。信仰生活が辛くて、しんどい苦
行、修業のようになる。私たちはど
うだろう。弱いままで良いのだ。
そこにこそ神が働かれ、神の力を、
みわざを現されるのだ。信仰生活と
は、自分の頑張りが止んで、神を
信頼して生きる生活だ。平安で安
堵の歩みだ。そこには安らぎがあ
る。額にしわを寄せて、難行苦行
をして頑張るのではない。弱さの
まま、素直に生きることがキリス
トを現わす。完璧な人を見る時、
自分とはほど遠い。しかし、弱さ
を喜んで感謝して生きている人を
見る時、大きな励ましと慰めとな
る。弱さを認めてそのままでいる
時、神がその弱さに働かれ、御力
を現わされる。弱さを隠すのでな
く、誇れと言われる。何と安らか
な人生だろう。弱いままでよい。
そこに神のみわざを見るのだから。
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証ししようとすると、どうしても
良い人の振りをする。証しの営業
をしてしまうのだ。弱さをそのま
ま受けとめて下さる神様を喜んで
いる真の自分をありのまま世に現
そう。