2006年03月30日(木)

「ほむべきかな。主。主は包囲された町の中で、私に奇しい恵みを施されました」詩編31:21



試練こそ、絶体絶命の時こそ
が、主の大きな恵みを知る機
会、祝福の時だ。
しかし、簡単には思えないも
のだが。アラム王が、エリシ
ャを捕らえようとし、馬と戦
車と大軍で町を包囲した。
召使いは恐怖でパニックにな
り、どうしたらよいのかと叫
んだ。するとエリシャは恐れ
るなと告げ、彼の目が開かれ
るよう祈った。その時、彼の
目が開かれ、火の馬と戦車が
エリシャを囲んで山に満ちて
いるのを見た。絶対絶命のこ
の試練が、召使いにとって偉
大な全能の主を知る機会とな
った。その試練がすぐ終わる
とは限らないが、私達の生き
る目的が、人生、順調に終わ
る事でなく、神を知る事であ
る以上、こんな大きな喜びは
無いのではないか。
振り返る時、試練の度に、新
たに主を親しく知れた。
試練には奇しい恵みが備わっ
ている。
-------------------
目の前の事にのまれてしまう
のは、背後におられる神様を
見失う時だ。私達は絶体絶命
に見えても、孤軍奮闘ではな
い。奇しい神様のみわざを見
つめよう。