2006年04月29日(土)

『彼女に言った。「なぜ泣いているのですか」「・・だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです』ヨハネ20:13

悪霊に憑かれた罪深い女だと、皆から
見下され軽蔑されていたマグダラのマ
リヤが最初によみがえりの主に出会っ
た。主の愛により救われたマリヤは、
誰よりも深く主を愛していた。主への
感謝と愛がその心から溢れていた。空
の墓を離れられず、帰る事も出来ず、
ただ泣いていた。彼女にとって愛する
主は彼女のすべてのすべてであった。
遺体も見えず、主はどこへ行ってしま
ったのか。なすすべもなく、マリヤは
ただ泣くことしかできなかった。そん
なマリヤに主は、言葉によってご自身
を示された。「マリヤ」と名前を呼ぶ
事によって、マリヤにご自身を現され
た。名前を呼ばれたマリヤは、その瞬
間主であることがわかった。途端にマ
リヤの悲しみは大きな喜びに変わった。
私達一人一人にも同じように、求めに
答えて下さる。個人的に呼びかけて下
さる。私達もマリヤと同じように「私
は主にお目にかかりました」と言える
のであり、それが最大の証しだ。
・・・・・・・・・・・・
弟子達は家に帰ったが、マリヤは主を
慕い求める余り、墓を離れられずに泣
いていた。その求めに、主はご自身を
マリヤに現された。自分はどうなんだ
ろう。それほどに求めているのか、ど
っちでもいいのか。