2006年08月30日(水)

「剣をさやに収めなさい。父がわたしにくださった杯を、どうして飲まずにいられよう」ヨハネ18:11

一つ一つの試練は神によって与えられ
た杯だ。御父が下さったものだ。状況
でなく、背後の神を見るべきだ。その
試練に反抗することは、剣を振り上げ
向かって行くことだ。今、目の前にあ
る試練は神から来ている。主イエスは、
ゲッセマネの園で血の汗を流し祈られ
た。十字架を父の御旨と厳然と受け入
れられ、従われた。嫌々、渋々仕方無
しにではない。主は自ら選択されたの
だ。受動でなく能動であられた。だか
ら、主は命をとられるのでなく、自分
から捨てられたのだ。父のみこころを
行われたのだ。だから、試練に飲み込
まれるのでなく、試練の中でコントロ
ールする事ができた。二つの選択があ
る。嫌々の態度で、試練にほんろうさ
れ、不平不満で一杯で、苦しいばかり
か。試練を受け止め、しっかり受け入
れるなら、誰も損なう事が出来ない。
悪魔の働く隙と足場が無くなってしま
う。私達の姿勢はどうだろう。
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目の病の子が「見えなくなってしまうん
だ」と言うと「目を神様にお献げする
事が出来るよ」との話がある。渋々受け
入れている事を、奪われるのでなく、
むしろ自分から神に献げる事ができる。
その時、心が変わり喜びが来る。