2007年10月30日(火)

「それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった」ルカ24:31



二人の弟子達が、墓に行った女たち
が御使いから、主のよみがえりを告
げられたと、聞いた。しかし、信じ
られず、郷里に引き揚げる。弟子達
は主がローマ帝国をくつがえし、地
上に王国を建てると信じていた。そ
れがことごとく破れ、十字架での無
残な最期が余りにもリアルで、よみ
がえりなど、荒唐無稽な事を信じる
事が出来ない。挫折感と失望、落胆
で、とぼとぼとなすすべなく郷里へ
向かっていた。突然、そんな彼らの
かたわらを歩く人が現れた。その人
は彼らに語りかけ、彼らの話を聞か
れた。その上、聖書の話をし、御言
葉を解き明かして行かれた。耳を傾
けて行く内に、彼らの心が変えられ
て行った。失望落胆に沈んだ心が、
赤々と燃えて来たのだ。不思議に暗
い心がいやされて行った。無理に宿
泊を願い、家に招いた。その人がパ
ンを裂いて、彼らに渡された時に、
彼らの目が開かれた。よみがえりの
主を認識できた。「彼らの目が開か
れた」時に、道中、心が内に燃えて
いた事に気づいた。すべては主が目
を開いて下さる事による。あれほど
信じる事のできなかった、主のよみ
がえりを信じる事ができた。彼らも
不信と失望の渕からよみがえらされ
たのだ。今、失望で沈んでいるだろ
うか。この弟子はあなただろうか。
主は、今、かたわらにおられる。意
識して、その主の語りかけに耳を傾
けよう。
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心を主に向け耳を傾けよう。語られ
るみことばも自分のものとして受け
止めなければ、何の励ましも、恵み
も受け取る事はできない。私たちの
霊の目は開かれているだろうか。