2008年02月28日(木)

「あなたのしもべを傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように」詩篇19:13

謙遜とは、人に向けて腰を低くするこ
とではない。腰は低いが、心は幾らで
も高慢であり得る。謙遜とは、主の言
葉を言葉通りに受け取る事だ。高慢と
は御言葉を受け入れない事だ。見せか
けの謙遜は御言葉を否定する。神があ
なたを愛していると幾ら言われても、
いいえ、私みたいな者が愛されるはず
がないと、心の中で思っているし、そ
う信じている。あなたの罪は主のゆえ
に、全面的に赦された、無罪放免と聞
いても、いいや、そんなはずはない、
私は罪ばかり・・と思っている。まして
や義とされて、今や義人と聞くと、絶
対にそんな事は無いと、心では受け取
らない。神は必要を満たすと言われて
も、現状見ると不可能と、思い煩い続
ける。あなたの歩みを導くと言われて
も、信じないので恐れと不安の暗闇に
いる。単に人前で偉そうにする事が高
慢でなく、神とその言葉を信じないこ
とが高慢だ。それは神を認めない事だ。
又、優越感は人を見下すので、見るか
らに高慢だと思えるが、劣等感も同じ
く高慢だ。神の評価、神の見方を受け
入れないで、自分が自分を評価し、決
めつけているゆえに。神の言葉をどう
聞いているだろう。自分が納得の行く
ものは受け入れ、そうでなければ捨て
る。それなら自分を神の上に置いてい
る。「わたしが目を留める者は、へり
くだって心砕かれ、わたしのことばに
おののく者だ」今一度御言葉を、神の
言葉として受け取ろう。
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神様、神様といいながら思い煩い、御
言葉の約束を心から受け取らないのは、
高慢からか。信じて重荷を下ろさない
一見、弱腰ふうな高慢を捨てて、心か
ら神様の御手の下にへりくだろう。