2008年06月29日(日)

「主は貧しい者を公義に導き、貧しい者にご自身の道を教えられる」詩篇25:9

                
  
親子だからと言って、何もせずに、ひとりで
に心が通い合うものではない。血がつながっ
ているのだから、わかり合えて当然なのでは
ない。それぞれが自分勝手に、自分の道を行
き、自分の事だけをしていたなら、相手の気
持ちをわかりようがない。夫婦でも同様だ。
相手に心を向け、心を配り理解しようとする
時、相互に愛や信頼が深められ、関係が築き
上げられて行く。御父は私たちと交わりを求
めておられ、心を通い合わせる事を願ってお
られる。しかし、私たちは本来自己中心であ
り、放っておくとすぐ御父から離れ、自分の
道を行く。御父に心を向けて行く事、主との
「関係」がまず何より大切だ。ダビデは4節
で「あなたの道を私に知らせ、あなたの小道
を私に教えて下さい」と願い「ご自身の道」
を求めた。ダビデの幸いは、そこにこそある
ので、自己実現、自己達成、自己充足の自分
の道でなく「ご自身の道」を、ひたすら主の
御心を求めた。貧しい者とは、自らの無力を
知り、神に拠り頼まなくては生きて行けない
と気づいている人のことだ。反対に高ぶって
いるなら、御心をと、口では言いつつ、自分
の意志と力で自分の道を行く。頼らなくても
やって行けるからだ。自分の道を行くと、当
てのない荒野をさまよう事になる。主はへり
くだって、求める者に、必ずご自身の道を教
えて下さる。その道を確信持って歩んで行け
るとは何と幸せだろう。
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本当の幸せは、自己実現、自己啓発でなく、
自分を明け渡して、ご自身の道、みこころを
歩むことだ。そこに最高の幸せがある。明け
渡して行く時に、必ずご自身の道を教えて下
さる。