2008年09月29日(月)

「わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います」ヨハネ14:27



私達は、よく思い煩う。目の
前の事、先の事、あの事、こ
の事を心配し、不安で不安で
たまらない。あなたも心配事
があるだろうか。それが、あ
なたの心を痛め、苦しめてい
るだろうか。心がずっしり重
くなり、落ち込んでいるだろ
うか。私たちは先の事は絶対
にわからない。先がどうなる
かはわからない。先が見えな
いゆえに不安で不安でたまら
ない。日々、目の前の雑事に
没頭している間は忘れている
が、しかし、思いがその具体
的な心配事に向いた途端、心
が暗くなり沈み込む。常にそ
の事が思いに来て、心が苦し
い。その苦しみから逃れたい
のだが、逃れられない。実は
しばしば、そこにこそ自らの
固く握りしめているものがあ
る。偶像が潜んでいたりする。
それが思い煩いとなり、自ら
を苦しめている。それが苦し
みのもとであり、それを手放
せば、すぐに楽になるのに、
決して放さない。自分のいの
ちともなっているものだから。
自分のいのちともなっている、
実は隠れたプライド、名誉心、
虚栄心、所有欲、御心と相反
する自らの強烈な欲望が潜ん
でいたりする。それは無意識
だったりするので、御霊の光
の中で、照らし出される時に
気づきが与えられる。気づか
される時、自由にされる。世
のものではない、主の全き平
安が与えられる。
---------------
所有していく事のみで満足する
肉の平安とは違う、主の平安を
私達は知っている。今週も、自
分をいら立たせ落ち込ませてい
るものの正体を見極め、開放さ
れていけます様に。