2008年10月30日(木)

「まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか」ルカ18:7



なかなか祈りが聞かれないと思う時がある。祈っても祈っても答えがない。
どうなっているのか、まるで放って置かれているように感じる。

しかし、神は祈りを聞かれている。そして、決して失望しないで祈り続けるよう
言われている。祈り続ける事によって、訓練されるからだ。答えを、引き延ばさ
れ、祈り続ける中で、忍耐が養われる。

忍耐する者へと変えられて行く。時間をかける中で、自らの動機があぶり出される。
何のために求めているのか、心が見えて来る。自分の欲望や、自分の誉れのためで
あったりする。

又、祈り続ける中で、自分が本当は何を求めているのかが、明らかにされて、本音に
まで至り、祈りが間違っている事を教えられたりする。

祈りは、祈りの実践の中でのみ学べる。
主が祈る者の祈りを、軌道修正し、正しく祈れるように導いて下さる。

ある人は、進路を親から反対された。しかし、自分は主の御心だと確信し、真剣に必死
に祈った。
しかし、幾ら祈っても親の賛同を得られなかった。ある時、平安が無く、心を御霊に探
られた時に、親の反対に反発し、意地になり、どうしても自分を通そうとしている、頑
なな自我に気づいた。

悔い改めて、御心のままにと、主に明け渡した。その後、不思議に親の同意が得られた。
主は動機をも正して、祈りに答えて下さる。祈りの中で、祈りを学んで行く。
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絶えず祈りなさいと言われている。祈りは神様との霊的な交わりの時であり、そこが
私たちの力の源だ。祈りを通して真の自分を認めて行き、新たな祈りの課題へと導かれ
て行く。