2008年11月29日(土)

「あなたの主人のもとへ帰りなさい。そして、彼女のもとで身を低くしなさい」創世記16:9

                            
    
アブラハムへの主の約束はなかなか成就をせず、幾らたっても子供のできないサ
ライは、一つの提案をした。
女奴隷ハガルによりアブラハムの子を得ようと考えた。子供を与えるとの約束が
あるのだから、手段は別に構わないではないか、肉は良い考えだと思えた。

これで子供を手に入れる事ができる。良いではないか。アブラハムも、自分から
言い出した事でなく、サライの提案ゆえ承知した。

しかし、ハガルに子供ができた時、問題が生じた。ハガルは優越感でサライを見
下すようになった。肉でする事は、外見どんなに良く見えても、必ず深刻な問題
を引き起こす。

想定外の事態にサライはハガルをいじめた。ハガルは辛くて荒野に逃げた。しか
し御使いが現れ、サライのもとへ戻って仕えるよう、ハガルの子孫を大いに増や
す事を告げた。

ハガルとイシュマエルにすれば自分で選んだ道ではない。奴隷の身であり、選択
の余地は無い。これは彼らの責任ではない。しかし、状況に責任はないが、それ
に向かう態度と行動は自らの責任だ。

神は彼らを顧みられた。サライによる教訓は、肉の判断、決定は必ず問題と悩み
を引き起こす事だ。人間的にこれは最善と思える方法が、必ずしも御心なのでは
ない。

又、近親者や近い者の、肉の助言が罠になり、そこから大きく道がそれる事があ
る。聞くべきは、まず神であり、判断と決定の際には必ず祈ろう。神が御心へと
導いて下さる。
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肉で行った事は、大きなトラブルを生み出す。自分だけにとどまらず、周囲まで
巻き込んで多大な迷惑をかける。秩序を乱し、蒔いたものを刈り取る事になる。
よくよく祈って御霊の導きを仰ごう。へりくだって主に拠り頼もう。