2008年12月30日(火)

「イスラエルよ。ギブアの日々よりこのかた、あなたは罪を犯してきた。彼らはそこで同じことを行っている」ホセア9:10



ギブアの罪とは士師記19〜にある。レビ人のそばめが、ベニヤミン族のギブアで暴行を受け死んだ。
彼はその死体を12に切り分け、イスラエル12部族に送りつける。

そしてギブアに住むよこしまな者たちの引き渡しを、ベニヤミン族に求めたが、拒否された。その結果、部族間戦争となり、600人を残し、ベニヤミン族は皆殺しになった。

ギブアの罪は取り除かれたのか。ギブアの町は焼かれ、男色や姦淫は取り除かれたかに見えたが、しかし、その罪の根は残っていた。

道徳的腐敗、同性愛、不品行、姦淫はホセアの時代に、ギブアで行われていた「ギブアの日々より罪を犯してきて、彼らはそこで同じことを行なっている」。

罪とは、時間さえ経てば無くなるというものではない。
むしろ、ますます大きくなる。心の中の罪は見たくないので、ふたをして見ない、触れないようにする。

放っておくと、罪は勝手に無くなるのではなく、そのままそこにあり続け、ますます熟して、やっかいなものになって来る。

罪は忘れてしまいたいが決して消えない。唯一罪が消し去られる道が、悔い改めだ。罪はただ一つ、悔い改めだけが解決の方法だ。それ以外に方法は無い。

今、悶々としていたら、へりくだって、罪を認め、告白しよう。
赦され、二度と思い出さないと神が言われる。
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私達は同じ失敗を繰り返す弱い者だけれど、主が私達の罪のために十字架にかかって下さった。私達の背後にある主の十字架を思う時、本当の悔い改めへと導かれるのではないだろうか。