2009年01月30日(金)

「このように、サウルは主に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。主のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て、主に尋ねなかった」T歴代10:13 

   

サウルは、ペリシテとの戦いの事で不信の罪と言われたが、その前にやはり主に従う事をしていなかった。

アマレクとの戦いで「すべてのものを聖絶せよ」との主の命令に、最も良いものを惜しみ、どうでもよいものだけを聖絶した。

主の言葉に従わず退けたので、主もサウルを王位から退けられた。
サウルは罪により主との関係が絶たれてしまった。

サウルは「罪を犯しました、しかし、私の面目を立てて下さい」と言った。これは罪の悔い改めではない。

自分の体裁、体面を守るためのものでしかなかった。私たちも、罪とは人前で面目を失う事と考えていないか。それなら人前で面目を保てば良しとなる。

そうではなく、人は関係なく、罪とは神と自分との間のことだ。
サウルはペリシテとの戦いで、主に伺ったが、主はいっさい答えられなかった。

それで霊媒へと向かった。まず主との関係が大切で、その関係が修復されていないのに、悔い改めが無いのに、伺いを立てても、答えが無いのは当然だ。

主との関係が、損なわれてしまっているのに、自分本位に祈っても願ってもどうにもならない。「主に尋ねなかった」と言われ、つまり尋ねた事にならない。

神との関係が何よりも大切だ。ダビデは姦淫、殺人の罪を犯したが、真に悔い改めた。サウルに悔い改めは無かった。悔い改めにより、神との関係は回復される。あなたと神との関係はどうだろう。
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人前の体裁ではなく、真に神様に罪を犯したと悔いる思いを神様は待っておられる。罪しか犯せない者であるからこそ、神から離れず尋ね求めて行かなければならない。