2009年02月27日(金) 「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」創世記11:4
「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう」創世記11:4
全地は最初一つ言葉であった。スムーズに意思疎通ができていた。人々はシヌア ルという平地に定住した。 神により、石の代わりに、れんがを作る技術が与えられ、れんがと瀝青で建築物 を作ることができた。スムーズに対話ができ、肥沃な地に住めて、建築の技術も 与えられ、すべては神の大いなる恵みであった。 しかし、その神の恵みに感謝し、栄光を神に帰するのではなく、自分の名をあげ、 自分の栄光、自分の名誉、自分への賞賛、自分が神にとって代わった。 神の恵みで賜った物や能力を、自分の栄光のために使うようになった。自分、自 分・・。 これがアダムからの罪そのものだ。「そのうちに」「我々は、頂きが天に届く塔 を建て」、最初は良かったのであろうが、「その内に」方向が狂って来た。 神は言葉を混乱させられて、意思疎通が不能にされた。その結果、塔の建築は不 可能になり、「彼らは建てるのを止めた」塔建築は失敗した。神が阻止された。 そして、人々は全地に散らされた。原因は神への高慢であった。この所で学ぶ事 ができる。互いに意思疎通ができない時、そこに必ず「高慢」が潜んでいる。自 分が神になり、自己義、自己中心、自己防衛、自己主張・・。 真の一致は、愛とへりくだりにある。そこには必ず喜びがあり、神の栄光がある。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 意思疎通ができない時、しばしば相手が悪いとしか見えない。しかし、自分の高 慢が潜んでいないか心を探って頂こう。愛がないなら間違っている。もし神と自 分の間が正しければ、どうであれ自分は平安だ。