2026年09月18日(金)

「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は 彼のために、神に熱心に祈り続けていた」使徒12:5


教会を迫害するヘロデ王は、ヤコブを殺害した。それが、
ユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロに手を伸
ばした。ペテロをも捕らえ、処刑しようとした。だがペ
テロに、奇跡が起きて、御使いにより牢から救い出され
た。

「教会は、彼のために神に熱心に祈り続けていた」その
答えだった。奇跡がなされた。教会ではヤコブの時も、
ペテロの時も同様に熱心に祈った。だがヤコブは処刑さ
れ、ペテロは救い出された。「なぜ?」と思う。これは
ヤコブとペテロ各々に対する、主のご計画であり、召し
だ。

ヤコブは殉教によって、主の栄光を現わし、ペテロは更
に福音宣教の使命が与えられていて、その事で主の栄光
を現わして行く。ヘブル11章にも、ある人々は「ししの
口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃を逃れ、強くされ、
戦いの戦士となり、陣営を陥れた」と。奇跡に次ぐ奇跡
により進軍して行った。

同時に別の人々は「牢に入れられ、石で打たれ、のこぎ
りで引かれ、剣で切り殺され、乏しくなり、苦しめられ」
と殉教して行った。結果的に正反対に見えるば、どちら
もが「信仰によって」歩んだ。パウロは「生きるにも死
ぬにも、私の身によってキリストがあがめられること」
を求めた。

一人〃に備えられた、神のご計画が全く違う。隣の人と
比較ができない。比較は何の意味もなさない。いつも主
と自分の関係の中で、自分に備えられた御心を祈り、行
なって行くことが、喜びもって歩める道だ。
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同じように祈っていても、一人一人に対する答えがある
事が感謝だ。どのような答えであっても、自分にとって
の最善に導かれていく。感謝して祈り続けたい。