2009年03月21日(土)

『イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい」』ヨハネ5:8

もし人が病気になっても、それが普通であり、正常な状態だと思っているなら、
病気が治ることはない。
病気が治るには、自分が病気だと認識しなければならない。私達も癒されるため
には、自分が病んでいる、この状態はまともではないと認識することが重要だ。

自分の自我や自己中心には目を向けないで、相手の欠点ばかり責めているなら、
いつまでたっても、その状態は改善されず、延々同じ事の繰り返しのままだ。
何の成長もない。

私たちはどうだろう。相手の欠点ではなく、それに反応して相手を攻撃し、責め
る「自分の問題」だと気づき、認めて行く時、変えられて行く。

この人は「池の中に私を入れてくれる人がいない」と、人のせいにしていた。助
けてくれる介助人がいない、だから自分は良くならない。問題は介助人がいない
ことであり、そのゆえだと。

人に依存してしまっていた。人に依存すると無気力になる。うまく行かないのは
人のせい、人が悪い。その、人依存こそが問題だ。

主は「起きて」と言われた、床を取り上げて、自分の足で歩けと。人はいっさい
関係なく、問題は、人に、病気に、依存している「自分に」あると気づき、認め
る時、主のみわざはすでに始まっている。

自分の床って何だろう。自己憐憫、諦め、不満、不信仰、偶像に依存する心・・そ
の床を取り上げて、神を心底頼って歩く事を始めよう。自立とは神だけに頼るこ
と、神依存だ。その時初めて、自分の人生に責任を持ち、喜びもって自分の足で
歩ける。

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相手が悪いとしか見えず、ここがサタンの罠で、相手でなく「自分の問題」であ
ることがなかなかわからない。御霊に目が開かれて、目からうろこで、初めて悟
る。自分が変えられ、解放され、心が御霊の喜びと平安で満ちる。