2009年08月21日(金)

「神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです」エペソ2:10



人は、生きるための基本的ニーズが満たされると、それだけでは満足できなくな
る。心が虚しく、何か生きがいが欲しい。自分を満たすものが欲しい。

それには他人のために何かすればよいのか。ボランティアか、慈善か。人の役に
立てるという事は、確かに自分を満足させる。しかし、人に善行をした時に、感
謝されなかったならどうだろう。

犠牲を払い、懸命に労しても誰からもほめらもせず、感謝もされない。報われな
い時、どうだろう。その善行の実際の動機は何だろう。自己満足、自己充足、自
己実現か。

神を離れた人間は、善行も自分のためにしかできない。クリスチャンはどうだろ
う。善行をして、相手から全く感謝が無かったなら、どうなのだろう。報いが無
ければ、心はどう動くだろう。

「何と常識のない、どういう人だ」となり、やり続ける事ができるだろうか。し
かし、私たちは、主に仕えている。すべての事を、主に対してしている。神に対
して生きている者だ。

自分の思いでなく、御霊の導きによって行動している。一つ一つ御霊に導かれて
行なったのであれば、相手の感謝が何一つなくとも、自分は御霊の導きのもと、
神に対してしたのであり、自分の心は納得している。

相手の反応がどうであれ、自分の心は満足し、平安だ。私たちの動機は、感謝さ
れなかった時に試される。良い行ないは、主が天から与えて下さるものだ。

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一つ一つ祈りにより行動するなら、御霊が導きや知恵や志を与え、御心に導かれ
る。御霊に導かれて行なう時、心には平安と喜びがある。どうであれ自分自身は、
主に対してしたのだから、心はすっきりし、主との間で平安だ。