2009年10月21日(水)

「肉に従って歩む責任を、肉に対して負ってはいません。もし肉に従って生きるるなら・・死ぬのです」ローマ8:19



神は、私たちが「肉に従って歩む責任はない」と言われる。なぜなら、神がすでに御子イエス・キリストを十字架につける事によって、肉を処罰され、肉の責任をすべて主キリストが負って下さったからだ。

「神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰された」。私たちの肉はすでに処罰されているので、肉に対して責任は無い。ただただ、御霊に従って歩んで行けばよい。

しかし、培われた古い根深い価値観があり、自分の思い、内側からの声を無視できないと考える。思い煩わないで委ねるなどと無責任で脳天気、ちゃんと自分で責任もって思い煩わなければ、と考えている。問題が起きると、自分で何とかしなければ、と思う。世の価値観であり、これは肉だ。

即、自分の肩にかかり、律法の下に身を置くので、辛くなる。人に対しても、何でも人の言う事を聞き入れないといけないと思ってしまう。そうすると苦しくなって来る。しかし、肉に従って歩む責任は無い。なすべき事は、御霊に従って歩むことだ。

自分の内にもう一つの声を聞こえてくるはずだ。「何も思い煩うな」「主に委ねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」。この御霊の声に従って行けば良い。自らは、肉に対して責任を負ってないだろうか。
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自分がひとかどの者だと思っているから何とか頑張り、出来なければ落ち込む。肉は十字架で主と共に死んだと、こと毎に思い起こそう。力も守りも神様から来るから御声につぶやかず疑わず素直に従おう。