2009年12月21日(月)

「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる」ローマ12:19



私たちにある罪の性質は、悪に、悪で仕返しをしようとする。攻撃されたら、反
撃する。何か言われたなら、言い返すと、すっきりする。悪口や批判を受けると、
倍返しをしたいと思う。

怒りを晴らしたい。しかし、この復讐は、ますます怒りを増幅させ、互いの間を
裂き、憎しみや敵対心の連鎖を生み、害毒を流し、これらの行き着くとこは死だ。
これは誰しも経験ある。

人への恨みや憎しみは相手でなく、自分自身が苦しい。心が辛く苦しく、片時も
平安がない。時々報道で、事件の被害者を見る。いかばかりの苦しみと痛みの中
かと、その激しい憎悪と敵意で歪んだ表情は、その人自身の心をも壊してしまい、
人生を破壊し破滅させるのではと思わせられてしまう。

神は、自分で復讐をするな、と言われる。神の怒りに任せよと。
復讐は神のされることであり、神が正しく裁かれると。神は必ず正しい裁きを下
される。

憎しみと敵意は、すぐに信仰者から平安を奪う。あなたも人を憎んで、辛い苦し
い悶々状態を経験した事があるだろう。それは牢獄だ。なぜ平安が失せるのか。
神に対して、罪を犯したからだ。

相手はあなたに、何をする事もできない。あなたから平安を奪う事はできない。
「人から出るものが、人を汚す」自分の罪を認める時、心が平安と喜びで満ちる。
誰もそれを奪うことができない。
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直接行動しなくても、思いの中で何度でも仕返したり攻撃する事がある。受けた
傷を忘れるまでそうするのだろうか。人の罪に巻き込まれ罪を犯すことがないよう、
受けた傷も、攻撃したい思いも神様に渡そう。この週の歩みが主にあって守られま
すように。