2010年07月21日(水)

「恐れないで、ただ信じていなさい」マルコ5:36



会堂管理者ヤイロが、主に、病気の娘のもとに来て、癒して欲しいと願った。主は願いに答えるべく、共に出かけられたが、途中で邪魔が入った。長血の女性が主に癒しを求めて近づいたのだ。

主はその女性に対応し、手間取ってしまった。娘の状態は一刻を争うのであり、ヤイロは気が気で無かったろう。女性への対応が終わりかけた時に、娘が亡くなったという知らせが入った。もう主に来ていただく必要は無いと。

主はその言葉をそばで聞いて、間髪入れずにヤイロに言葉をかけ、励まされた。恐れないで、ただ信じているようにと。別訳では「イエスはその話している言葉を聞き流して」「注意を払わないで」となっている。

まず、不信仰な言葉を「聞き流す、心にとめない」ことが大切だ。そして、一見、長血の女性の割り込みで遅れたが、私たちの「時」と神の「時」は違う。神の時は常に最善だ。「神の時」に手遅れは決してない。

又、人の言葉は、時に、神の御心に反することがある。もう主は必要ないと、使いの者が親切で言ってくれるが、主はその言葉を聞き流された。注意を払われなかった。私たちも信仰に反する言葉を「聞き流す」べきだ。

不信仰な言葉は、恐れや不安、疑いの種を心に植え付ける。心に入れてはならない。あなたは今、不信仰な言葉を聞いていないか。それは聞き流して、「恐れないで、ただ信じて」いよう。
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一日中、外から、また内側から様々な声を聞いて行くが、不信仰な声は流して、捨てて捨てて行こう。恐れから不信仰となり罪を犯してしまう。主と共に平安で喜びに満ちて一日を過ごせるよう、心に入れるべき言葉と聞き流す言葉を、知り分けられますように。