2010年09月20日(月)

「この世と調子を合わせてはいけません・・神のみこころは何か・・何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために」ロマ12:2

信仰生活において、なぜ日々御言葉が必要なのだろう。この世で生きている私達
は、日毎に、この世の価値観に襲われ、さらされ、攻撃を受けているからだ。意
識するとすまいと、凄まじい影響下にいる。全く正反対の価値観だ。

この世は地を目指し、自らの判断と知恵を根拠に、自分を神とし、人からの賞賛
を求め、自分の栄光のために生きる。私達は天を目指し、御言葉を根拠に、神の
御心を行ないい、神に喜ばれるように、神のために生きようとしている。

サタンは価値観の部分に影響を与え、巧妙に誘惑を仕掛ける。価値観にさえ働け
ば、簡単に行動を操作できる。ちょっと御言葉や祈りから離れると、クリスチャ
ンもすぐも自分の損得、自分の賞賛、自分の欲望、自分の都合・・肉のために生き
てしまう。根深い肉の性質があるからだ。

御言葉がどう言うかでなく、自分の肉の判断で行動してしまう。神の価値観と真
逆を行く事になる。神から目を離すや、即、この世の価値観で動いてしまう。い
ら立つ相手には、すぐ腹を立てしまうし、裁いてしまう。

しかし、神はいら立つ相手を前にした時に、「まず祈れ」と言われ、「御霊の判
断を仰げ」と言われる。そこに御霊が働かれる。すると、見方が変えられ、その
時に、相手にもそうせざるを得ない状況があり、弱さがあることに理解が向けら
れて行く。

御言葉は自我や肉の判断に日々気づかせ、軌道修正してくれる。日々御言葉に触
れて行く時に、御言葉によって自分の考え方が変えられて行く。今までを振り返
っても、大きく変えられて来た事だろう。

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目の前の事態に、肉は即、反応し、御言葉と真逆の方へ向かう。そして、後悔
する。すぐに主を仰いで、ひと呼吸置いて、主の喜ばれること、御言葉の判断を
祈ろう。主を仰ぐ時、助けられる。今日も、まず主を呼べるように。