2010年11月20日(土)

「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです」ルカ10:42

マルタは目まぐるしく働き、目の前の事に心を奪われてしまっていた。もてなし
=家事、仕事、活動、奉仕等だ。又、それは神のための働きかも知れないが、労
働、わざがすべてになってしまい、主と御言葉を慕い求めることから離れて行っ
てしまう。

とにかく目先のことをこなす事に、一生懸命になり、何をしているのわからない
状態となり、本末転倒になってしまう。心が急いて、せかせか、イライラ、ピリ
ピリする。早く早くと、気が落ち着かず、それが高じると、周囲を裁いて行く。

自分があれもこれもと忙しく、イライラしてして、何もしていない人に腹が立っ
て仕方がない。責めてしまう。様々な事を思い煩い、心配し心が分割されてしま
う。どんなに主のために労したとしても、腹を立て、人を裁いていては何をして
いるのかわからない。

マリヤはどんなに忙しくとも、まず主の足もとに座った。御言葉に真剣に聞き入
り、最も必要な良い方を選んで行く。私たちは日々の歩みで、マルタにもマリヤ
にもなる。肉で歩んでいる時、どうだろう。心はイライラ、せかせかし、労しつ
つも、あれもこれも腹を立てている。

自分を正当化し、自分の目で判断して、心は裁きと怒りで一杯だ。御霊に満たさ
れて歩むためには、まず動き回る前に、主と交わり、祈りと御言葉で心が満たさ
れる必要がある。その時、主と一つに労し、平安があり、そして御霊の実を結ん
で行く。

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肉で歩むと、些細な事にイライラし、自分の思い通りにならなければ、周囲を責
め裁く。だが、祈り、主に頼って歩む時、心は平安で喜びがあり、不思議に知恵
やアイデアが来る。結果も委ねられる。今日も主に拠り頼んで歩もう。