2010年12月21日(火)

「この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです」ガラテヤ5:17



生まれつきの肉、古い性質と、御霊による新しい性質の二つが、同時に存在する。二つの性質はそれぞれが強く引っ張る。いつも体験しているところだ。助けが必要なのでは?との相手に「助けなくては」と思い、もう一方は「いや、面倒に巻き込まれたくない。時間が無い。自分の事で大変だ。無理だ」と思う。

二つの思いが臨む。肉と御霊を意識していなければ、自然のままなら、ほとんど肉に従ってしまう。肉に流されて気づかない。肉の声に説得されてしまい、神の祝福を逃してしまい、御霊の実を結ぶ機会を失う。

先週一週間を振り返るとどうだろう。様々な御霊の導きに気づかないままだろうか。そう言えばあの時と、思い当たるだろうか。御霊の導きが来た時に「無理」「出来ない」と流してしまわず、そこで「出来ません」と祈ろう。

「出来ませんから、助けて下さい」と、主のもとへ持って行こう。その時に、主が働かれ、自分ではない、主のみわざを経験する。「出来ません」と無力を認め、助けを求めて祈ると、出来るようにされる。

ある人は、相手の苦しい結果は、自業自得じゃないかと、裁く思いで祈りも出来なかった。「どうしても祈れません」と祈り、助けを求めた。その時、自分がもしその立場ならとの、思いが与えられた。涙が溢れて止まらず、相手への同情で一杯にされた。真剣に執り成している自分に、御霊を感じた。
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自分のしたいと思うことが出来ないから自己嫌悪し恥ずかしく思う。しかし恥ずかしく思えたことも感謝だ。神様に助けを求め祈れる。神様から受けなければ何も出来ないし、またその力を与えて下さるのを待ち望める。