2011年01月21日(金)

「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」ローマ12:15


ある人が子供の頃、近所の人たちや周囲の人から、「良い子だねえ」と言われて
いた。自分では、よくわからなかったが、悪い気はせず、良い子であろうと頑張
り、自分でも良い子だと思っていた。そんな自分が大きくなり、本当の自分の姿
が映し出されたのが、「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさ
い」だった。

良い子であるはずの自分が、決して出来ない事であった。それどころか、人の喜
ばしい事柄に、羨ましく妬みを感じてしまう自分、悲しむ人と共に悲しむ事など
出来ない、むしろ自分の幸せに安堵してしまう自分、心に潜む罪の現実を見せら
れた。真に罪の奴隷であることを知り、主に拠り頼む者とされた。

ある人は、入試に不合格であった。がっくりと失望落胆し、力を落とし心沈んだ。
その時、友人は合格だと知った。が、どうしても素直に喜べない。心悶々状態に
陥った。祝福など出来ない。でも、自分はクリスチャンであり、このままでいい
はずはない、との思いが来る。あるがままの状態を正直に、自分はできません、
しかし助けて下さいと、祈った。

祈った後、主に喜ばれる道を選びたいとの思いで、極めて簡単な祝福メールを送
った。すると不思議に心が平安になった。すると、不合格の自分がそうした事に、
思いを越えて相手は喜んでくれ、感動したと、言ってくれて、その行為は証しと
された。
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自分の状況がどうであれ、共に喜び、共に悲しむ事など肉には出来ない。自分が
神様といつも繋がっていることを覚え、素直に共感できない時は祈り、神様から
の愛を受けて、喜ばれる御旨を選択できるよう助けてもらおう。