2011年03月21日(月)

「妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」使徒5:2


信仰生活、年数を経ると、自然に聖書知識が増して行く。毎週〃礼拝に出席していると、それなりに知識が身について来る。最初は祈りも、皆と祈るのは、非常な緊張だったが、いつしかそれらしく祈れる。信仰生活を重ねるに従って、内側と外側にギャップができ、それが大きくなって来る。

実質は無いのに、どんどん聖書用語は増え、知識も増え、外側いっぱしの信仰者に装えてしまう。私達には、人に良く見られたい強い欲望があるので、人前を繕ってしまう。この誘惑に陥ると、信仰の致命傷になってしまう。最初は、わかっていながら、つい良く見られたくて、人前を取り繕ろってしまうが、その内に自
分が自分に騙されて、自分がわからなくなる。

最初は、意識した演技だったが、演技している方の自分が自分だと信じてしまう。特に霊的生活には、サタンが巧妙に狡猾に惑わして来るので、とにかく、主の御前に正直でいよう。アナニヤとサッピラの間違いは、装った事だった。自分が賞賛されたい、信仰深いと見られたい、虚栄から出ていた。

誕生したばかりの教会に、この致命的な偽りを放置するなら、内側から崩壊して行くので、主は対処された。自らもこの誘惑、この偽りに、よく心していよう。信仰が破船してしまう。人に良く見られたい欲を認め、「全部は無理です。献げられません。一部を持って来ました」とそれで良い。ありのままでいよう。そう
すれば、守られ、祝福される。
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内側の自分を知ることから始めたい。頭だけの知識、口先だけの信仰で霊的に満たされたふりをしていないか。私達も損の自分を放置するなら内側は空洞になる。求めは人にではなく真の神様にあるといつも覚えていたい。あのまま正直でいよう。