2011年04月20日(水)

「あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」ヨハネ6:24  



               
主は、五つのパンと2匹の魚で人々を満腹させるという奇跡をされた。それで群衆は、主を王にかつぎ上げようとした。しかし、主は、大勢の群衆が自分の後を追いかけ回すのは、パンゆえだと言われた。奇跡に、霊的な恵みを見て、この方こそ主キリストと信じたゆえでなく、求めていたのはパンであり、更なるパンで
満たされたい。自分の願望を満たすためにつき従っていると。

満腹とは、自分の欲望が満たされる事であり、自己充足、自己実現だ。肉の喜び、肉の満足だけであり、そこに主や永遠の恵みを見る事はない。主は祈りに答えて下さる。求めよと言われる。そして必要を満たして下さる。しかし、気をつけないと、私たちの祈りは、ひたすら自分の欲望充足だけに向かう。欲望を満たす手
段となってしまう。そして、願望が叶えられず、思い通りにならないと、主のもとを離れ去る。利用価値が無いからだ。

主は、そんな私たちをあわれみ、正しく導くために、時に、思い通りでない答えを与えられる。よく自分自身を吟味させ、動機を探らせ、省みさせて下さる。「ノー」の答えがあり、すぐに叶えられない祈りがある。その中で心を深く探り、取り扱い、御心に適った者へと変え、成長させて下さる。思い通りにならない状
況は大きな恵みだ。
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なぜ祈りは聞かれないのだろうと祈り続ける中で、自分の動機も鮮明になり祈りが変わってくる。ただ一番良い時に、一番良いものを神様が下さる。それを期待して待ち望もう。ノーの答えも感謝だ。