2011年07月21日(木)

「供え物をささげようとしているとき、もし兄弟にうらまれていることをそこで思い出したなら・・まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい」マタイ5:23


ある人が、サークルの、対人関係において大失敗をした。仲間をひどく傷つけてしまったのだ。不用意な発言であり、しかし、はっきりと根にある自己中心の罪ゆえだった。肉による事であり、自分の罪であった。周辺の人々にも嫌な思いをさせ、すべて自らが引き起こした事だった。御霊は語りかけられ、その罪の恐ろしさを示され、悔い改め、謝罪するよう言われた。

自分の愚かさ、失態を認め、謝る事はプライドが傷つく事であり、恥ずかしい、したくない事であった。自我はしたくないが、しかし、自らの罪であり、御霊は迫られた。促され、逃れる事ができず、御霊に従いたいと、傷つけた相手、嫌な思いをさせた一人一人に謝る決心をした。赦してもらえなくても、仕方の無い事だ。しかし、勇気を出して、思いきって謝罪した時、当の相手は、快く赦してくれた。他の人々も同様だった。

赦される事の喜びに心が溢れた。平安が満ちて、天にも上るような喜びであった。もし、赦しを拒否されたら、その人々との交わりも断たれ、その交わりから出なくてはならなかった。傷つけた自分自身も傷を持ったままだったろう。神は謝罪を大いに祝福して下さり、その当人とは仲良しになってしまった。あなたも、謝るべき相手があるだろうか。御霊の示しがあるなら、実行しよう。大きな祝福を経験する。
--------------
謝らず、曖昧にしてごまかす事も出来るが、謝る事により主の香りをはなつ事も私達には出来る。和解の勇気も、祝福も神様が与えてくださるから、御霊の促しに従う方を選ぼう。