2011年08月21日(日)

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを良いことのための計らいと なさいました」創世記50:20


ヨセフは、兄たちの妬みと憎しみによって、つまり悪意によって、エジプトへの
隊商に売られてしまった。それは兄たちの明確な悪意であったが、結果的には、
その悪巧みを通して、ヨセフはエジプトの総理大臣となり、大飢饉の中、家族を
エジプトへ呼び寄せ、ヤコブの子孫のいのちを救うことになった。

「神はそれを良いことのための計らい」とされ「それは今日のようにして、多く
の人々を生かしておくため」であったと。神は、人の悪意すら用いて、良いこと
にされ、益と変えられる。それをも、ご自身のご計画のために用いられる。

パウロもユダヤ人たちの悪意により、囚人となってしまう。が、その悪巧みによ
り、結果的にどんどんローマへローマへと進められ、導かれる事となり、福音が
大きく広がる事になった。神は悪意すら用いて、ご計画を進めて行かれる。御心
を止めることは、誰にもできない。神の御心は、必ず成就されて行く。

ヨセフは理不尽な苦難だったことだろう。一人で異国の地に連れ去られ、どんな
に不安で孤独で恐怖だった事だろう。兄たちの仕打ちにどんな思いでいた事だろ
う。エジプトでは、主人の好意と信任を得たと思うや、無実の罪で牢獄へ。

しかし、苦しく辛い、悩みの炉を通りながら、ヨセフは砕かれ、練られ、整えら
れて行った。人の悪意は、信仰に立つ時、私たちに何の害も加える事が出来ない。
私たちを、更に主に近づけるばかりだ。

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人の悪でさえ、主が介入され、良いことにして下さる。自らの失敗、過失をも益
として下さり、突如の事態をも、益と結果するようにして下さる。それも、それ
らすべてを、御子のかたちへと変えるように、愛、喜び、平安・・の実を結ぶよう
にされるとは、何たる恵み。