2011年10月21日(金)

「その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2


ある人が、厳しい経済状態にあった。支払いの必要があり、祈りに祈るが、支払い期日はどんどん迫って来る。しかし、与えられない。尚も、祈り続けるが、与えられず、不安が募り、恐れとなって来る。どうすれば良いのか。更に祈り続けるが、与えられない。しかし、主は「思い煩うな」「キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たす」と言われる。

主は言うのだが、不安でたまらない。焦りと思い煩いで一杯だ。心が落ち込んで行く。そんな時、知人から電話があった。主から示されたので、献げものを振り込んだとの事だった。それは、すべての必要が満たされる額であった。与えられた事に大喜びし、心から感謝した。

しかし、その時にふっと、知人からの送金を、まだ目で見たわけではない。しかし、送金したという言葉を信じている。まだ見てはいないが、言葉を信じている。そして大喜びしている。それに引き替え、主の御言葉はどうだろう。主は「思い煩うな」「満たす」と言われるに関わらず、まだ目に見えないので、信じることができない。

人の言葉は信じることができるのに、主の御言葉は信じられない。自分の不信仰を示され、悔い改めた。主は信仰を喜ばれる。まず、信じられないなら、その事を主に正直に告げて、主に助けて頂こう。
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聞いて満足するだけでその気になっているのではなく、自分のいのちとして受け取っているだろうか。なぜ疑うのかと主は言われる。御言葉を信じ踏みとどまろう。