2011年11月20日(日)

「別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった」(マタイ13: 5)

種が土の薄い岩地に落ちた。岩地だが、薄い土があったので、そこに種が落ち、
すぐに芽を出した。しかし、ギラギラと照りつける太陽が昇ると、深く根を張っ
ていないため、強烈な日光で枯れてしまった。

この同じ太陽が、土中深く根を張った植物は、逆にぐんぐん生長させる事になる。
全く同じ一つのものが、一方は力強く生長させ、他方は枯らしてしまう。

試練も同様だ。それはある人には成長となり、主の愛、主の真実を知る時になり、
築き上げられる。しかし、別の人を枯らしてしまう。その違いは、私たちの態度
にある。逃げず、避けず、しっかりと試練を受け止めるなら、試練は私たちを損
なう事ができない。私たちを砕き、練り、きよめ、成長させるばかりだ。

しかし、心を屈折させ、すねて反抗するなら、試練を通して、何の良きものも受
け取る事ができず、それどころか、心が枯れて行く。試練で神を恨み、離れ去っ
た人々もいる。

しかし、振り返ると、試練により、量り知れない益を受けたのではないか。あの
時、この時、あの試練が無ければ、自分はどんなに高慢になり、恐ろしい事にな
っていただろうと。
試練が私たちをへりくだらせてくれる。そして高慢から守られる。試練を受け止
め、その中で主に従って行く事で、岩が、自我が、砕かれて行く。岩が砕かれ、
根差すことができ、実を結んで行く。

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最初から良い地は無い。自我でカチカチだ。開墾されたから、柔らかな素直な良
い地になった。主が、すきやくわで、頑固な固い心を耕して下さり、良い地に変
えられる。砕かれるなら、御言葉が心に入り、地中深く根差し、実を結んで行く
ことができる。