2012年01月21日(土)

「だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているか らです」ヨハネ11:9



ラザロが病気になったとの知らせが、マルタ姉妹から入った。しかし、主は動か
れず、ラザロが死んでしまった後に、主は「ユダヤに行こう」と言われた。する
と弟子たちは、今、ユダヤに行くと石打ちに会い、殺されてしまうと。

その時に主は「昼間歩けばつまずくことはない」と言われた。わたしに従ってさ
えいれば大丈夫だと。状況の問題でなく、主の問題であり、御心の中にあるかど
うかが重要と。
つまり、主に従った歩み=昼間歩くことであり、従わない事が、夜歩くことだと。
「夜、歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです」主から目を離し
た途端、私たちは、すぐにつまずいてしまう。

この苦しみ、この悲しみは、「何で?」「どうして?」疑いや不安、恐れに襲わ
れる。暗闇に入り、つまずき倒れてしまう。しかし、主を見上げているなら、私
たちの内の光は輝き、明るい。どんなに暗い中でも、困難な中でも、前に歩んで
行ける。決してつまずくことがない。なぜなら、光を見ているからであり、光が
あるので歩める。

そして、主に従い、御心に従って行くと、私たちの内にいのちの光が輝く。状況
は最悪でも、心に御霊の喜びがあるので、前進して行ける。罪の性質は、暗闇を
愛してしまう。肉は自分の欲望を遂げ、思い通りにしたい。

今、岐路にいるなら、神の御 心を選択しよう。どんなに困難に見えても、「昼
間歩けばつまずくことはない」進んで行ける。神を見ているからだ。

・・・・・・・・・・・・
肉の性質は、主に従うより、自分の思い通りにしたい。好きなように生きて行き
たい。しかし、そこは暗闇だ。つまずいてしまう。主に従い、御心を歩む時、そ
こに光があり、全部を理解はできなくても平安がある。主の愛がある。