2012年02月19日(日)

「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのように、心をか たくなにしてはならない」ヘブル3:15


モーセはカナンに12人の斥候を遣わし、その報告を聞いた。10人は民は強く、
巨人達もいて、城壁は大きい、攻め上れないと恐れた。それを聞いたイスラエル
の民達は恐れて怯え、不信仰に陥った。

神が与えると言われた約束の地にも関わらず、エジプトで死んでいたらよかった
と、不平不満で一杯でエジプトに帰ろうとまで言い出した。主は「いつまで信じ
ないのか、わたしを侮るのか」と、つぶやいた民達は荒野で滅びると告げられた。

すると、それを聞いた民達は、「罪を犯した。とにかく言われた所へ行こう」と
カナンへ上って行く。モーセは、主が共におられないから、行ってはならないと
止めたにも関わらず、上って行き敗北する。

行けと言われれば行かず、行くなと言われれば行く。自分の思いがあるばかりで、
御声に従わない。民の姿は自らの姿かも知れない。神に従うために「時」がある。
時を逸しては、もう遅い。後から従おうとしても、もう従えない。

民達は斥候が戻って来た時に、自分の思いでなく、信仰に立つべきであった。神
の約束に立ち、神を信じカナンへ入って行くべきであった。後悔するが、時すで
に遅し。主の御声は愛だ。愛による語りかけだ。主の愛に応答し、従って行く時、
更に主の愛を知る。
あなたも今、示しを受けているだろうか。御声に従おう。一歩踏み出す時、更に
神の愛を経験して行く。

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主の導きがある時には、導きと共に、必要な力が与えられる。導きに従ってみよ
う。必ず成し遂げる事ができる。又、御心に従う時には、必ずサタンが来る。行
わせまいと妨げる事も覚えよう。主の愛による御声が、かけらえているとは嬉し
い事だ。従おう。