2012年03月21日(水)

「私が、主に油そそがれた方に手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ」Tサムエル26:11

妬みのゆえにダビデをつけ狙うサウル。サウルが追って来た事を知り、ダビデは、夜にその陣営に向かった。するとサウルと将軍アブネルや兵士達も皆、熟睡していた。今こそサウル反撃の格好のチャンスだ。しかし、ダビデは決して手を下さなかった。その理由は、サウルが「主に油を注がれた王」であるからだった。

だが、同時にダビデ殺害を狙うサウルの行動は、主の御心に逆らうものである事も知っていた。その事について「主は生きておられる。主が、必ず彼を打たれる」と信じていたので、ダビデは裁きを主に委ねた。決して自分で復讐しようとはしなかった。そのしるしに、サウルの枕元にある槍と水差しを持ち帰った。「主が彼らを深い眠りに陥れられた」ので、皆、眠りこけていて全く気づかなかった。

すべての事は主の主権の下にあり、主は眠りすら支配される。やがて、サウルはダビデが二度までも、機会がありながら、自分に手を下さなかった事実を知る。そのダビデを、「わが子ダビデ。おまえに祝福があるように」とサウルはとうとう祝福した。

人を憎み、敵対心を抱き、呪う時、憎む本人が一番苦しい。喜びも平安も無い。決して自分で復讐せずに、どこまでも主に委ねて行くダビデ、その命を、主が堅く守られた。「復讐はわたしのする・・わたしが報いをする」と言われる主に、裁きを委ねよう。
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自分の価値観で周囲の人の悪に対しあれこれ裁いてしまいがちだが、正しい報い、復讐は主にしか出来ない。自分のそういう感情を正しく裁かれる主に、委ねて行く事を学ぼう。