2012年04月20日(金)

「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い 時に、あなたがたを高くしてくださるためです」Tペテロ5:6


ダビデは、姦淫と殺人という大罪を犯してしまった。しかし、神から遣わされた、
預言者ナタンから罪の指摘を受けた時に、真っ直ぐに罪を認めて、悔い改めた。
へりくだる心があったゆえだった。責任転嫁も言い訳もしなかった。

サウルから命をつけ狙われ、逃げ回っていた時も、サウルに忠誠を尽くし続けた。
逃げ回る中で、まさにサウル殺害の千載一遇のチャンスがあった。部下は、今こ
そ神が与えられたチャンスであり、神が敵を渡されたと、ダビデに進言した。し
かし、ダビデは、サウル王は、主が油注がれた王であり、手を下す事など絶対に
できないと拒んだ。

サウルを王と立てている主を認め、主を畏れ、御前にへりくだり、主がそのよう
に成就されると、主を待ち望み続けた。もし、自分でサウルを倒して、自分で王
位を手に入れたなら、どうして主が与えて下さった王位だと信じることができよ
う。そして、ダビデは、そのように「神の時に」、神によって王位につけられた。
ダビデ自身は何もしなかった。

私たちもどうだろう。もし自分の画策で物事を動かし、自分の力で、自分の思い
通りのものを手に入れて行くなら、神から与えられたなどと、誰が信じる事がで
きよう。自分が信じることができない。自分でしているのだから。

神の御前にへりくだるとは、自分で動く事をせず、事を成される神を待ち望み、
神に従って行くことだ。

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ダビデは、今こそサウルを倒す、神からのチャンスと、部下の勧めに関わらず、
自分で事を起こさなかった。主を信じていたので、主に委ねた。目の前の事柄を
自分で画策しようとせずに、全面的に主に委ねよう。主のみわざを見る。