2012年08月21日(火)

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」伝道3:1

御言葉には、すべての事において、主が定められた「神の時」があると記されている。詩編には「私の時は、御手の中にあります」とある。ダビデは、サウル王に代わって、イスラエルの王となると示されていたが、その時は、知らされていなかった。ダビデは、サウルに追い回され、命をつけ狙われ、死と隣り合わせのような逃亡生活だった。

必ず、サウルの手から守られ、救出され、イスラエルの王位に着くことは定められていたが、いつその「時」が来るかは、全くわからなかった。ダビデは、その時を知ろうとするのでなく、「私の時は、御手の中にある」と、主にすべてを委ねた。

ヨセフも、神の時を待った。兄たちにエジプトへ売られ、しかし、そこで良い主人と出会い、家の管理を委ねられるが、主人の妻からの濡れ衣で、投獄される。そこでチャンス到来。献酌官長の夢を解き明かし、解放されると思いきや、しかしまだ「神の時」ではなかった。忘れ去られてしまい、尚も2年の忍耐の後、やがて「神の時」が来て、牢から出された。

様々な障害や人間の妨げに関わらず、神の時には、みわざが成されて行く。神の時が来たなら、誰も止める事ができない。今まで全く動かなかった事態が、驚くばかりに、動いて行く。あなたも経験した事があるだろう。何事にも定まった時期がある。今、祈っている事にも、時がある。主を信じて、待ち続けよう。
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この日のために祈っていたのだと、美しい神様の時を目の当たりに拝し、賛美と感謝に満たされる事がある。今日か明日かわからなくても、神様の時を信じ期待し、その時をしっかり見つめ今日も祈ろう。