2012年10月21日(日)

「モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じてい ます。ところで、あなたは何と言われますか」ヨハネ8:5


律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕まった女を連れて来て、
主を罠にはめようとした。そもそも男女共有罪なのに、女だけを連
れて来た。「主をためして、告発する理由を得るため」だった。

モーセの律法の通り、石打ちの刑に処するなら、当時はローマ帝国
の支配下にあり、ユダヤ人にその権限は無かった。ローマの法を破
る事になる。又、主の「愛しなさい」「赦しなさい」の教えはどう
なるのか。逆に、もし、主が赦すようにと言うなら、モーセの律法
に反する事になる。

すると主は、あれかこれかの、二つに一つでなく、驚くべき第三の
答えをされた。「あなたがたの内で罪の無い者が、石を投げよ」と。
律法学者、パリサイ人たちの想定外の答えだった。主を告発しよう
とした者が、自分たちが告発される事になった。彼らはそれを聞く
と、一人〃と出て行き、全員いなくなった。

石を投げる事ができなかったわけで、なぜ投げられないのか、その
自分自身の姿に向き合う事なく、主の前から逃げ去り、自分自身か
らも逃げた。しかし「女はそのままそこにいた」、女は逃げなかっ
た。

その彼女に主は「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今
からは決して罪を犯してはならない」と。姦淫罪の全き赦しを与え
られた。自らの罪を認める時初めて、主の愛に触れ包まれる。主の
もとには救いと問題の解決がある。ごまかさず、逃げずに、主に向
き求めよう。

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「わたしもあなたを罪に定めない」との言葉を受け取り、どんなに
喜びと安堵に満ちただろう。自己正当化や言い訳でなく、自らの罪
を認めて行く時、罪が赦され、何よりも主のご愛や慈しみを体験す
る。