2013年11月20日(水)

「試練に耐える人は幸いです・・だれでも誘惑に会ったとき、神によって誘惑された、と言ってはいけません」ヤコブ1:13


「試み」という言葉は「試練」と「誘惑」のどちらにも使われている。しかし「試練」は神から来ていて、「誘惑」はサタンから来る。神は、誰をも決して罪に誘惑される事はない。「神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑なさることもない」。神から来る「試練」は受け入れて、忍耐すべきべきものであり、そうするなら必ず一段階成長する。試練は成長のためのものだ。「試練に会う時は、それをこの上もない喜びと思いなさい」それは成長を遂げた完全な者にされるためだと。

サタンからの「誘惑」は反対で、決して受け入れずに拒否し、立ち向かうべきものだ。それを受け入れるなら罪を犯してしまう。だから、主が「主の祈り」で、こう祈りなさいと言われたように、「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください」と祈る事は大切だ。誘惑から守られるように祈る必要がある。

サタンの誘惑の巧妙さは、物事がうまく行っている時に来る事だ。試練の時は、むしろ主を呼び求め主に拠りすがる。平穏な時に人は油断する。順調なので神に頼る必要が無い。物事はうまく進み、祈りを怠る。自分でやって行けると思ってしまう。誘惑はサタンからの試みで、目的は神から離すことだ。試練は神からのもので、私たちを練りきよめ鍛え、神に近づけ成長させるためのものだ。誘惑は拒絶し、試練は受け入れられるように祈ろう。
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ふたつの試み、とりわけ神から離そうとするサタンの試みには罪が熟すまで気づかないこともある。自分の弱さを忘れず「試みに会わせないで悪からお救いください」と主の守りを朝毎に祈りたい。