2013年12月21日(土)

「そういうわけで・・私たちの念願とするところは、主に喜ばれるこ とです」にコリント5:9

 

フィギュアスケートの選手ジャネット・リンは、オリンピック優勝
の最有力候補であった。しかし、大事な本番で転倒し、尻もちをつ
いてしまった。あっと息を飲んだその瞬間、優勝が消えた事が誰の
目にもわかった。しかしその時、彼女はにっこり微笑んで、立ち上
がった。

そして最後まで競技を投げ出さずに、心を込めて丁寧に力一杯の演
技をした。決して競技を捨てなかった態度と、その素晴らしい演技
に魅了された観客から感動の拍手喝采が起きた。何と優勝者よりも
大きな拍手であった。後々までその感動は語り継がれた。

私たちは、どんな状況でも、神の栄光を現わすことができる。優勝
により神の栄光を現わすことができ、同時に失敗しても、起き上が
って、最後まで精一杯の、最高の演技をする事によって、神の栄光
を現わすことができる。その事は、人々に大きなインパクトを与え
る。

私たちは、何のために生きているのだろう。ただ勝つために、優勝
するためにだけなら、転んだ瞬間に、すべては無であり崩れ去る。
そこにもう意味は無くなる。失望落胆し、気力が失せる。しかし、
私たちは主に喜ばれるために、主のために生きている。

勝つことでなく、主の栄光を現わすことが最終目的だ。それに伴う
動機は大変重要だ。何のためにそれを行なうのか。自分の栄誉、自
分の賞賛を得るため、自己満足のためだろうか。それとも主に喜ば
れるためだろうか。

・・・・・・・・・・・・・
どんな状況であれ、動機が正しければ、主の栄光のために用いられ
る。もし、失敗したとしても、そこで尚も、主を見上げて従って行
くなら、主の栄光を現して下さる。何とあわれみ深いお方だろう。
どんな時にも、どうなろうとも希望がある。