2014年04月20日(日)

「『行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラ エルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です』使徒9:15         



アナニヤはダマスコに住んでいた。当時、キリスト者は、激しい迫
害によりエルサレムから至る所に、国外にまで散らされた。しかし
ユダヤ人たちは、彼らを徹底的に、どこまでも執拗に追った。青年
サウロは、殺意に燃えて、彼らをエルサレムに捕らえて来ようとし
ていた。その途上で、突然天からの光を受けることになる。

一方、アナニヤは、どんどん迫り来る迫害に、必死に祈っていただ
ろう。そんな時に、「アナニヤよ」との主の御声が臨んだ。どんな
に心強かっただろう。迫害から守って下さるのだと思ったかも知れ
ない。しかしその言葉は驚くべきものだった。殺意に燃えて迫害を
重ねて来たサウロに会いに行き、盲目になっている彼の開眼のため
に祈れと。

アナニヤは全く理解できず、彼はひどい迫害者で・・と、問うて行く。
しかし主は、「彼はわたしの選びの器だ、行け」と答えられる。ア
ナニヤはどうだったろう。愛する多くの同胞を殺害した相手だ。そ
の相手を助け、祈れと言われる。あのサウロが本当に回心などした
のか。自分も殺されるかも知れない。命がけであったろう。それに
本当に主の御声なのか。自分の間違いでは?

様々な思いがよぎったかも知れない。しかしアナニヤは従った。主
はアナニヤをこのために選ばれたのであり、彼が従う事を知ってお
られた。彼は、常々、御声に耳を傾け、主との深い交わりの中に生
き、従い続けて来た弟子だ。主の御声がわかった。私たちも常々の
交わりを大切にし、「主よ。ここにおります」お従いしますと答え
よう。

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主は、アナニヤに重大な役割を与えられ、アナニヤは命がけで従い、
そして、サウロのために用いられた。アナニヤは日頃から「主よ。
ここにおります」と従い続けた、その延長線上にある結果だった。
目の前の小さな事から、一つ一つ従って行こう。