2014年08月20日(水) 「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために・・」ルカ18:1
「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために・・」ルカ18:1
この人は裁判官だが、神を恐れず、人を人とも思わない人物だ。し かし、裁判官であるという事は法律に乗っ取って裁くという事だ。 人格的にはこういう人だが、やもめが余りにひっきりなしにやって 来て、うるさいから、これ以上うるさいのは困るから、裁判をする 事にした。 ここで言っているのは、こんな人でも、うるさいからの理由で、裁 判をするのであれば、ましてや完全な愛と完全な義をお持ちの神が、 正しい裁きをつけずに、放っておかれるわけがないという事だ。つ まりこんな人格的に問題のある裁判官でもそうするのだから「まし てや神は」という事を言っている。 完全な愛と配慮を施して下さり、常に私達の最善を考えて下さって いる神なのだから、失望は決してあり得ないと。祈りの執拗さ以前 に、祈る相手がどんなお方かが重要だ。神はすみやかに彼らのため に正しいさばきをして下さる。 「パンを三つ貸してくれ」と決して諦めず、しつこく頼み続けて、 パンを手にした人も、友達だからでなく執拗さのゆえに勝ち取った。 ここでも、しかし神はそうではなく、子だから良いものを下さると 言っている。執拗さゆえでなく、子のゆえだと。 だからこそ御子を賜うほどに愛し、最善をして下さる神に、失望す る事なく信頼し続けられる。しつこくガンガン祈るからでなく、子 だから、愛しているから、いつも必要をご存じで、祈りに答えよう と待っていて下さる。何と幸いだろう。 --------------- 執拗にではなく失望せずにだ。理不尽な辛さも、何得できないこと も神様だけはわかってくださり、祈りに耳を傾けていてくださる。 この方に信頼し、委ね祈り続けよう。