2014年10月21日(火) 「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った・・するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった」使徒9:17
「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った・・するとただちに、サウロの目からうろこのような物が落ちて、目が見えるようになった」使徒9:17
当時、キリスト者は、激しい迫害の中、エルサレムから方々に散ら され、国外にまで散らされた。しかし、ユダヤ人たちは徹底的に、 執拗に彼らを追った。青年サウロは、殺害の意に燃えて、大祭司に ダマスコの諸会堂宛の手紙を書いてもらい、彼らをエルサレムに引 いて来ようとしていた。その途上で、突然天からの光を受けること になる。 一方、ダマスコに住んでいたアナニヤは、迫り来る危機に、必死に 祈っていただろう。そんな時に、「アナニヤよ」との御声を聞いた。 どんなに心強かっただろう。しかしその主の言葉は、驚くべきもの だった。迫害に迫害を重ねて来た、サウロに会いに行くようにと。 盲目になっている彼の目が開くように祈れと。 アナニヤは想定外の内容に、理解できず、しかし彼は迫害者で・・ と問うて行く。だが、主は、彼は選びの器であり、行けと答えられ る。アナニヤはどうだったろう。愛する同胞を殺害した相手だ。そ の相手の助けとなり、祈れと言われる。あのサウロが、本当に回心 したのだろうか。自分も殺されるかも知れない。命がけだったろう。 それに本当に主の御声なのか。自分が間違って聞いているのでは? 様々な思いがよぎったかも知れない。しかしアナニヤは従った。主 はアナニヤをこのために選ばれたのであり、彼が従うと知っておら れた。彼は、日頃から御声に耳を傾け、主との交わりの中に生き、 従い続けて来た弟子であった。私たちも、普段の地道な主との交わ りを大切にし、「主よ。ここにおります」と答えて行こう。 ----------- 主は御心のままに日々、私たちに志を与えてくださる。今日は何を 示されるだろう。御心なのか、そうでないのか、自分の思いを明け 渡し従う心で主の御声を聞いていこう。