2015年01月21日(水)

「この場所は、なんと恐れ多いことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ・・そしてこの場所の名をベテルと呼んだ」創世記28:17


ヤコブは、父イサクと兄エサウを欺いて、祝福を手に入れた。だま
されたエサウは、激しい恨みと憎しみに燃え、殺意を抱く。そのた
め、ヤコブは家を出なければならなくなった。自ら犯した罪のため
であった。着の身着のままで、家を離れ、遠く野山を旅し続けた。

歩き続けて、日が落ちて夕暮れが迫った。人里離れた野で、ヤコブ
は一夜を明かす事にし、石ころを枕に横になった。野宿だ。一日の
心身の疲労こんぱいで、ヘトヘトになった身体を、固い地面に横た
えた。疲れ、足は痛みを覚える。どうしてこんな事になったのか、
独りぼっちで、惨めで不安で、どんなにか孤独だったろう。人生の
どん底だった。

しかし、その所でヤコブは眠り、夢を見て、目覚めた時に「まこと
に主がこの所におられるのに、知らなかった」と言った。ヤコブは、
この所で、生ける神に出会ったのだ。主は「この地をあなたと子孫
に与え、子孫を増やし、大いに祝福する。この地に連れ戻す」と言
われた。

信仰人生には、一つの特徴があり、色々な人々が成功の絶頂時でな
く、人生の「どん底」で、真に生ける神に出会っている。惨めで、
哀れで、裸で、どうしようもない絶体絶命の窮地で、真に神に出会
う。大きな恵みだ。あなたも神に出会った「この所」があるだろう。
まことに「この所」におられた。又、あなたの今いる所にも、まこ
とに主がおられる。霊の目が開かれる時に、新たに、今の所に主を
見い出す。
-------------
自業自得で故郷を追われたヤコブに現れた御神は、私たちにも御手
を伸ばしていてくださる。窮地や絶望、深い喪失感の中で生ける御
神を見る事こそ祝福だ。そこに導かれたご計画を素直に受け取れる。