2015年04月20日(月)

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」マルコ11:23



そのすぐ後に、「だれかに対して恨み事があったら、赦してやりな
さい。そうすれば、天におられる父も、あなたがたの罪を赦してく
ださいます」と続く。信じて祈る時、答えを受け取るとある。しか
しその時、誰かに恨み事があれば、赦してやりなさいと、赦す事が
強調されている。

赦さない心は祈りを妨げる。私たちは、しょっ中、失敗する者だ。
しかし神は豊かに赦し続けて下さっている。罪を犯さないのではな
く、罪は犯すが、赦されて、尚も赦されて生きている。私たちが絶
えず赦されているのだから、それゆえ、私たちも赦すべきだと。
まず恨み、憎しみ、赦さない心があると、祈れなくなる。とがめが
あり、主との間にへだたりができる。すると、確信もった祈りがで
きない。

ある人が、切実な必要があり、神の御前に祈っていた。祈り続ける
が与えられない。祈りの中で、ある人の仕打ちに、恨みと敵意、苦
々しい思いを持ち続けている事を示された。これが祈りの妨げにな
っている事がわかり、その場で悔い改めて、その相手を赦した。そ
の後、祈りの答えが来た。赦さない心は、祈りをしゃ断してしまう。

祈りの答えを受け取るために、密かな恨み、赦さない心がないかど
うか、御霊に探って頂こう。そしてあるがままの心を祈りに持って
行こう。主は取り扱い、赦せるように導き、助けて下さる。自分の
心に責められなければ、大胆に御前に出ることができ、求めるもの
は何でも神からいただける。
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一番与えて欲しいものは平安ではないだろうか。憎しみや赦せない
心に平安はない。人を責める思いに気づいたなら、まずその思いか
ら主に祈り始めよう。