2015年08月21日(金)

「また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」ヤコブ1:22 




「自分をながめてから立ち去る」というのは、ただ単にながめただ
けで、何もせずに立ち去ってしまうということだ。例えば、鏡に映
った自分の顔が汚れていたとしても、ただながめるだけなので、汚
れを落とさずに、汚れたまま立ち去ってしまうことだ。

そんな態度なのでで、立ち去った後は、顔が汚れていたということ
も、すぐに忘れてしまう。結局、その人は何一つ変わらず、一生涯
ずっとそのままということになる。つまり、御言葉を聞くには聞い
ても、行なわない、実行しないということは、これと同じだと。一
生涯、何も変わることがなく、全く成長が無いと。

又、そうでなく、鏡を見るのは、身づくろいのためならどうだろう。
顔が汚れていたなら、洗顔し、化粧をし、髪も乱れていたならセッ
トし、服も点検する。そのように実際に対応する時、きれいに身づ
くろいできて変わって行く。御言葉は鏡だ。自分の真の姿をそのま
ま照らし出してくれる。

聞き従うとは、照らし出された自分の姿を知り、認め、悔い改めた
り、示された事を具体的に行なってゆくことだ。「和解しなさい」
「赦しなさい」「愛しなさい」「祈りなさい」・・一つ一つ従って
行こうとする時に、御霊は助けて力を与えて下さる。自分はどうだ
ろう。「自分をながめてから立ち去」ってしまっていないだろうか。
----------
外側は常に気をつけ健康に気を配っても、内なる人の状態はどうだ
ろう。耳の痛い御言葉は、また告白する罪はないだろうか。照らし
出された内なる自分に関心を払いたい。