2015年09月20日(日)

「霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずから せようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10


信仰人生で、主は試練を与えると、はっきり言っている。この世の
宗教は、試練を回避するための信心だが、私たちの主は違う。「主
はその愛する者を懲らしめ」「受け入れるすべての子に、むちを加
え」「あなたを苦しめ、あなたを試み」・・必ず試練があると。むし
ろ試練が無い方が心配だ。「懲らしめを受けていないとすれば、私
生子であって、本当の子ではない」。

試練で、自分にはどうやっても、どうにも出来ない事態にぶち当た
り、初めて人は自分の弱さを知る。真に自分の弱さを知れば、神に
頼らずにはおれない。頼るは神のみで、拠りすがるばかりだ。でき
る事はそれだけだ。その時に神の恵みに気づく。それが神に近づく
ことになる。

ある人はどうしても受け入れ難い相手がいて、嫌いで顔も見たくな
い。しかし心は苦しく、心に鉛があり、平安は無く、しんどくてた
まらない。同期のその相手が昇進した。羨望と妬みも来て、余りに
も苦しく、主の御前に心注ぎ祈った。信仰の導き手との祈りの時に
話すと、「相手の祝福を祈ろう!」と言われ、「え!」とひいた。

絶対に無理と、心固まったが、しかし苦しい。長い長い沈黙の後、
決心して、たどたどしく、「彼・を・祝福・して・下さい」と祈っ
た。すると不思議が起きて、鉛が溶けて、心に平安が臨んだ。御霊
の働きを感じた。祈りの答えだとわかった。

主は試練を与えるが「苦しめ、試み、あなたをしあわせにするた
め」と。「ご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる」と。
そして必ず「平安な義の実を結ばせる」と。

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苦しみや悩みは、私たちを主のもとに連れて行ってくれる。それら
は必ず益となり、ご自身の聖さへと導かれる。苦しみの時は、祈り、
とにかく御霊の示された通りに従おう。従って良かったと必ず思え
る。