2015年10月21日(水)

「あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マタイ7:11




「求めなさい。そうすれば与えられます」の言葉通り、私たちの親
である御父は、子供に最善のものを与えたいと思われる。私たちは
願いを求めるように言われている。しかし、神は「自分の子供に良
い物を与える」「求める者たちに良い物を」と、願い通りのもので
はなく、「良い物」を与えると言われる。自分が祈ったそのままで
なく、「良い物」と。

主の思われる最善のものだ。それで、願ったものその通りかも知れ
ないし、違うかも知れない。とにかく主からご覧になり、私たちに
とって「良い物」なのだ。祈りが答えられないと、がっかりしてい
るなら、祈りの答えを、今一度見直してみよう。一つ一つの祈りが、
別の形で答えられているかも知れない。

小さな子が母親の料理を真似たいと包丁を求めても、親は与えない。
又、子供が分不相応な高価な物を欲しがるなら、もっと大きくなっ
てから与える。持つにふさわしい時期がある。又、忍耐を学ばせた
り、その子のために教育的配慮から控える場合もある。自分はこれ
こそは必要と思うが、神は完全にふさわしく与えて下さる。

自分の願いとは異なるかも知れないが、それは「良い物」だ。その
時は理解できなくても、後に必ず豊かな実を見る。時に主の「良い
物」が、自分の思いと異なる事を心得ていよう。しかしそこに神の
お心を見い出す時、喜びがとなる。
------------
叶えられた答えばかりを恵みとして、答えられなかった祈りの周辺
に目を向けないことがあるが、そこにも御神の最善があったはず。
懸命に祈りながらも、御心をとの思いで祈りたい。