2015年12月21日(月) 「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」マルコ4:40
「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」マルコ4:40
「さあ、向こう岸へ渡ろう」と、主の言葉から始まった。大きな行 動を起こす時は、まず主の御言葉によって、御心を確信して、行動 すべきだ。主が「向こう岸へ渡ろう」と言われたからには、何があ っても、何がどうなっても、渡る事ができる。主の言葉は100%成 就する。しかし、私たちはどうだろう。 御心を行ない始めて、ちょっと風が吹くと、少しうまく行かなくな ると、すぐに信仰がぐらついて、「御心ではなかったのか」と大変 な不安に襲われる。又、悪い事が起こるのは、「何か罪を犯した罰 では」と恐れたりする。グラグラしてしまう。しかし、主は・・と 目を転じると、大嵐の中で熟睡しておられる。全き平安の中におら れる。 なぜなら、向こう岸へ渡るのであり、途中どうなろうと渡れるから だ。その主が共におられるのに、悪い状況にうろたえ、怯え、不安 に襲われる。状況にほんろうされてしまっている。弟子たちが「先 生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」 と言うと、主は、弟子たちのために、嵐をしずめられた。 湖に「黙れ、静まれ」と言われると、風はピタリと止み、大なぎに なった。その時、主は「どうしてそんなにこわがるのです。信仰が ないのはどうしたことです」と言われた。主は、「波、風」の問題 でなく、「信仰」の問題だと言われた。様々な出来事の中で、信仰 を成長させて下さる。 ------------ 突然の風は吹いて来るが、主を呼び、主がこれから答えてくださる と信頼する。その繰り返しだ。どこにいても主と共にいると知って いくのが最大の平安。必ず向こう岸に渡れる。