2016年02月19日(金)

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩編37:5




ある人が、対人関係で、非常に傷つく事態が起きた。相手が赦せず、
思い起こす度に、怒りが湧いた。自分はクリスチャン、赦さねばな
らないと思うのだが、心は裁きと憎しみが渦巻いた。しかしとがめ
があり、何とか赦そうと頑張るのだが、どうにもならなかった。
御言葉も知っているのに、思い出すと怒りに支配され、今度はでき
ない自分に自己嫌悪に陥り、惨めになった。

「赦せますように」と祈っているのだが、赦すことができない。
段々、「何で、あの相手のために、自分がこんなにも苦しまなけれ
ばならないのか」と、腹が立って来る。楽しい時も、その思いがよ
ぎった途端、楽しさも吹っ飛び、暗い重苦しい気持ちに落ち込む。
こんな人生は嫌だと、主と交わるべく、主の御前に出た。

「どうしてこんな事になっているのですか!」怒り、相手への敵対
心、憎しみ、自分の惨めさ、苦しみ、平安の無さ、虚しさ・・心の
底を延々、ハンナのように主にぶちまけた。するとどうなったのか
不思議だが、何だか心が落ち着いて来て、受け止められているとい
う、暖かい感覚が来た。主を感じたのだ。

そして祈っていると、赦せるように祈った端から、自分の力で何と
かしようとしていた事に気づかされた。一言祈った途端に、自分が
動き出す。だから出来ない。そして主に何もかも委ねることができ
た時、心の鉛が取れて、平安と安堵が来た。問題が問題で無くなっ
てしまった。
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悶々とした悩みやどうしようもない感情は祈りを通して主に渡そう。
主が平安をくださる。ささげる祈りによって人の考えにまさる主の
平安が与えられるとの御約束は真実だ。