2016年03月21日(月)

「さて、ステパノは恵みと力に満ち、人々の間で、素ばらしい不思議なわざとしるしを行なっていた」使徒6:8



ステパノという人物がいる。12使徒を助けるために選ばれた人だっ
た。信仰と聖霊に満ちていた彼は、不思議なわざとしるしを行なっ
ていた。それが気に食わない律法学者たちは、議論するが対抗でき
なかった。彼は「知恵と御霊によって語っていた」。そこで策略を
巡らし、人に偽証させ、神冒涜の罪で議会に引っ立てた。

ステパノはイスラエルの歴史を語る。民は事あるごとに偶像礼拝に
陥り、主は預言者を送り、立ち返らせようとするが、それも拒み、
とうとう最後にはキリストを殺してしまったと。すると人々は、激
しい怒りに燃えた。「聖霊に満たされていた」ステパノは、人々の
石打ちに「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と言い、
「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫び、息絶えた。

主の十字架上の言葉を思う。「主よ彼らをお赦しください」。ステ
パノは、なぜ自分を殺す人々を赦す事ができたのか。まず彼は「聖
霊に満たされていた」とあり、主に従おうと、自分を全く明け渡し
ていた人だった。自分の生涯に主の栄光が現される事だけを求めて
いた。だから聖霊に満たされていた。そして、彼は主イエスをだけ
見つめていた。

「天が開けて・・人の子が・・見えます」一心にただただ主のみを
見ていた。私たちはどうだろう。赦せない相手のみを見つめ続けて
いないか。ますます赦せなくなる。聖霊に導かれること、主を見つ
め続けることを教えられる。
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主を見ず問題ばかりに目が行くと、思い煩い、自分で安心を求める
価値観に逆戻りしてしまう。ただ主を見つめ、全ての安心の土台を
主に置く明け渡した人生を歩みたい。